お知らせ

法学類

お知らせ

大友 信秀(知的財産法)

大友 信秀(知的財産法)

大友信秀 私が初めて金沢大学を訪問したのはちょうど5年前です。その年の4月からの赴任が決まり、旧制四高の伝統を受け継ぐ大学で待っている新しい生活への期待感に包まれていました。大学にも街にも数日前に降った雪が残り、大変うつくしく、キャンパス内には学生が作ったと思われるかまくらまであり、微笑ましく思ったことを覚えています。

金沢大学のキャンパスは以前はお城の中にあり、旧制四高時代の校舎もお城のすぐ横に県庁(こちらも現在は金沢駅の西に移転。)と並んでいました(旧制四高の本館だった建物は石川四高記念文化交流館として現在もレンガ造りの美しい姿を残しています)。

よく、金沢大学は旧制四高を母体としているといわれますが、法学部の前身である法文学部のうち四高を母体としたのは文学科で、法学科ではありませんでした。法学教育のための教員が不足するなか、常勤教員、非常勤教員の確保に尽力されたのが、四高出身で当時東北大学教授でいらっしゃり、後に金沢大学第3代学長になられた中川善之助先生でした。

金沢大学学長で法学者は後にも先にも中川先生ただお一人ですが、当初、中川先生は、学長就任を固辞されていました。法文学部法学科設置後、常勤教員の不足を補うため、毎年集中講義を担当してくださっていた中川先生を慕う法文学部学生有志は学生会館に集まり、中川先生の学長就任を懇請する学生集会を開きました。中川先生は、後に学長就任受諾の理由を、金沢という地が青春時代を過ごした場所であったということに加え、この学生達の熱心な懇請に感動したからと語っています。

文字通りゼロから出発した金沢大学法文学部法学科における法学教育にあたり、当時の若手教員は、基本資料と研究費の不足に悩まされる中、春夏秋冬の休みにはそれぞれの出身大学の研究室に帰り、図書資料を筆写するのはあたり前だったということです。

学生からの懇請に心を動かされ学長になられた方を私は他に知りません。また、北陸・金沢の地に法学の教育を根付かせるために一緒になって尽力された先生方の姿を想像すると、金沢大学法学部黎明期の教員、学生が一体となったすばらしい息づかいが伝わってくるようで胸がいっぱいになります。

私は、金沢大学法学部の初めての知的財産法専任教員として赴任したため、前任者がいないことから研究資料が全くない状況に直面し、また、国立大学法人化に伴う研究費削減という環境が1年目から待っていました。私が折に触れ、建学時の先生方が直面したご苦労を思い出すのも、このような境遇の近さにあるのかもしれません。

民法学者として著名な中川先生の業績に、じつは、知的財産法の一つである著作権法に関するものがあります。私にとっては、中川先生は、知的財産法の分野における大先輩でもあるのです。

私には、このご縁が、中川先生が何十年もたち忘れられてしまった建学の精神を思い出させ、金沢大学法学部を目指して入学してくる学生の教育を託すぞ、と伝えてくれているように思えます。

金沢大学には中川先生の銘による石碑が建っているのは、すでに本リレーエッセーにおいて淺木先生がご紹介された通りです。金沢大学をご訪問される際には、ぜひ、中川先生を想像し、石碑に重ねていただければと思います。

2009年1月26日掲載