齊藤 彰子(刑法)
社会に飛び立つ、卒業生のみなさまへ
金沢大学に赴任してから6年目の今年度末、思いがけず、名古屋大学に移ることになりました。これまでの人生を振り返ってみますと(「振り返る」というほど長くも、中味もありませんが。。。。)、自らの明確な意思、ビジョンをもって自分の進む道を決めたことがほとんどなかったように思います。学区制で自動的に通学校が決まる小、中学校はもちろんのこと、高等学校も、田舎でほとんど選択肢がなく、何も考えないまま、従姉妹達が通ったのと同じところに進みました。大学も、ただ一人暮らしがしたいという理由で選びました。一人娘の私を地元の大学に行かせたい両親と、地元を離れたい私の妥協点として、お互い一人っ子で姉妹同然に育った従姉妹が当時暮らしていた京都の大学を受験することになりました。大学院への進学も、目立ちたがり屋だった私の不用意な一言から始まりました。私の所属したゼミ担当のN先生は、初回に、全てのゼミ生に対し、将来の希望をお聞きになりました。刑法ゼミというだけあって、ほとんどのゼミ生が法曹と答えるなか、他人とは違うことを言ってやろうと考えた私がその場でとっさに発したのが、研究者という言葉でした。もちろん、当時、大学院進学という選択肢を全く考えていなかったわけではありませんが、それほど明確に意識していたわけではありませんでした。しかし、不思議なもので、一度口にしてしまうと、何となくその気になってしまい、本当に大学院に進学してしまいました。本学に着任する際には、今まで全く縁のなかった金沢に赴くことに不安を感じていた私に、兄弟子が「いいところだよ」とすすめてくださったおかげで、この6年間、すばらしい先生方、個性的、魅力的な多くの学生さんに出会い、多くのことを学ぶことができました。
このように、私は、その時々の周りの人たちとのご縁で自分の進む道が決まり、また、結果的によい方向に導いていただいたと、心から感謝しています。卒業されるみなさまのなかには、希望の進学先、就職先に進めた人も、そうでない人もいると思いますが、それも何かのご縁だと思って、それぞれの途で前向きに頑張って欲しいと思います。
みなさまの未来が幸多いものでありますように!
2007年3月26日掲載