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淺木 愼一(商法)

更新日: 2010.03.27

行不由径 10月第一週の事である。本学に赴任早々、構内を探索中に「行不由径」-行クニ径(こみち)ニ由(よ)ラズ- と大書された碑を見付けた。本学三代学長、中川善之助の書であるという。
おお、論語の一節ではないか、と傍に添えられた彼の解釈を読んでみた。次のようにある。「人間、常に大道を行くべきであり、間道など探すような根性の人間にならないことを心掛けたい」と。

人生の間道ばかり探している私にとっては、耳の痛い解釈である。さすが、君子の解釈である。私などは、これを読むと「会議(教授会)などというものは、およそ大綱だけガーッと決めれば、あとは個々人の識見才能に委ね、重箱の隅をつつくような議論はせずに、早く帰ろうぜ」とこういう解釈をしてしまう。まさに小人の解釈である。

かように、洋の東西を問わず、古典というものは個々の人生に大きな影響を与える。

話は変わるが、最近、天下の大学生相手に「独りで悩まないで、何でも他人に(あるいは私に)相談しなさい」と勧める風潮がある。この風潮が私には不思議でならない。人格の形成途上にあって、どうしても他人の助力が不可欠な不安定な時期の小中学生(百歩譲って高校生)を相手にそう言うのは理解できなくもない。しかし、最低でも19歳、多くは民法上行為能力者とされる成年相手に安易にこう勧めるのが良い事か。

青年期に悩みは附き物である。悩まない青年はろくな社会人にならない。悩める青年は、安易に解答を求めるべきではない。彼がなすべきは、「自ら独力で解答を見出すこと」ではなかろうか。

図書館に行けば、古今東西の人類の叡智が蓄積された万巻の書物がある。自らこれらの書物を繙くべきである。何千年もの間のおびただしい人間の悩みの、あらゆる類型に応用できるはずの叡智が、この中には眠っているはずである。たかだか数十年しか生きていない、ほとんど専門馬鹿でしかない大学教授に安易に相談して解答を求める事と比較すれば、解決方法としていずれが優れているか、明らかではないか。

青年期の悩みは、自力で解決した方が、人としての器は大きく育つのである。万巻の書に接すべきである。古典に親しむべきである。

私が小さい頃のテレビ・コマーシャルに「みーんな悩んで大きくなった」という一節があった。良い一節である。

私の処にやって来ることは、それこそ「径ニ由ル」という結果にしかならないと思う。

若者よ、書を捨ててはならない、街から帰っておいでなさい。

2006年11月8日掲載

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