お知らせ

法学類

お知らせ

熊谷 士郎(民法)

熊谷 士郎(民法)

大学の教員になって、はやというべきかやっとというべきか、いずれにしても今年で8年目になります(そのわりには、講義もへたくそで、研究も進まず、忸怩たる思いでいっぱいですが)。そして、今年から縁あってこの金沢で教鞭を執る機会をいただきました。

金沢という町は美しく、また、食べ物もおいしいところで、これを機にこの町を満喫しようと思っていたのですが、4月は引っ越し後の整理などに追われてしまい、ようやくゴールデンウィークになって金沢市内を車であちこち散策することでができました。ただ、残念ながら我が愛車にはカーナビがないので、目的地に着くまで地図を片手にうろうろするはめに…。こういう時にカーナビって便利だよなと思い初めていました。

ところが、先日読んだある本によると、「カーナビを使うとバカになる」と書かれていました。「カーナビがなかったときは、見ている景色が地図上のどこに対応するのか、自分は地図上のどこを走っているのか、ということを頭の中 で構築し、処理しながら運転していた」けれども、「カーナビ運転では、画面に出てきた表示に合わせて動くだけである。従来は頭の中で行っていた動作を、全部カーナビに預けてしまう。だから、頭のなかは空ッポになる。挙げ句の果 ては、バカになる」のだそうです(畑村洋太郎『数に強くなる』)。

なるほどそう言われれば、似たような印象を持つことは他にも多々ありそうです。たとえば、ワイドショーのコメンテーターがある社会問題について意見を述べているのを聞くとそんなものかとそのまま鵜呑みにしてしまい、何かその問題について聞かれたとき、コメンテーターの意見をそのままさも自分の意見のようにうそぶいているような気もします。なぜそんなことがいえるんだろう、そんな考え方で本当にいいのだろうか、別の考え方はできないのだろうか、といったことを、(仮に最終的にコメンテーターの意見と同じ結論になったとしても)落ち着いてじっくり考えていかないと、やっぱり頭のなかは「空ッポ」になるのかもしれません。

とはいえ、カーナビを使っていてもしっかり頭を使う方法も何かあるんじゃないのなどと、都合のよい言い訳を考えながら、ちゃっかりカーナビ購入計画を進めています。

2007年5月16日掲載